高齢者にとって優しい住まいとか、バリアフリーについては個人差が大きい。我が家の「最後まで自立できる家」のモチーフは死ぬまで自分の身のまわりのことは自分でできる家である。コンセントの位置や照明については自分の背丈で届くところを原則とした。しかし床はフラットでないし、地下室ありロフトあり。将来くるま椅子になったらとの想定はなく、九十二歳でなくなるまで二階の自室と一階の生活空間を難なく上り下りしていた祖母の姿を自分に重ねている。今回の家づくりの経験から、何のために家をつくるのか、一緒に暮らす意味合いは、といった問いに自分なりの答えが出せたような気がする。家づくりにはより前向きに生きようとの思いと、これまでの生活のせいさんがともなうものだと思った。家づくりに必要不可欠な荷物の整理。ほとんど使うことなく眠っていたもの、買ったことすら忘れていたもの、目の前のものたちに生きてきた軌跡を問いただされているような心境となる。無駄、そして物欲にとらわれていた過去を素直に省みる。少しずつの変化に人はとても鈍感だ。一年に1キロ、見た目に変わらない体型も、10年で10キロ贅肉として蓄積される。同じように、家の中の汚れも徐々に荒れていくと慣れてしまう。ましてや目に見えない自分のこころ、家族の気持ち。ちょっとずつこころが離れていく、少しずつの傷つけあいが、日常というぬるま湯の中で流され、いつしか不透明となっていく。家づくりは、これまでの人生を振り返ると同時に死を意識した人生の計画を真剣に問える最大のチャンスだと思う。心地よい家ができた。心地よい空間で、ゆったりした時間の流れを感じながら、自分を見つめ、家族を見つめ、これからの日々を新鮮な日常の積み上げにしていきたい。