マーケットは充分にあるはず。そこでA80(コルト800)シリーズのモデルチェンジが急務と考えた事業部長のK氏は、次期モデルの開発期間を短縮するため、エンジンと足まわりは従来のものを使い、ボデー設計を含むスタイルだけを変えることにした。車を売るにはスタイルが重要であり、この点で他社にくらべ劣っているのが三菱車の売れない最大の原因とみていたK氏は、自社のデザインカを向上させる意味も含めて、当時売り出し中のイタリア人カーデザイナー、ジョルジェット・ジュジアーロにデザインを依頼した。K氏みずからイタリアに行って打合せやレンダリングの選定をし、ジュジアーロによるモデル製作がはじまった。さすがにジュジアーロの仕事は早く、四十二年八月にはこちらから送ったA80のフロアを使って試作車二台が完成、引き続き正規の試作車を一年後の四十三年八月に送って来た。A80の次期モデルということで、試作名称をA90とし、発売日を2ドア型四十四年十月、4ドア型四十五年五月と決め、開発は急ピッチで進められた。ところが、このころすでに体調の不調を訴えていたK氏が、四十三年十月なかばごろから休養することになり、代って名古屋自動車製作所長だった丹治道生(のち自工常務)が自動車事業部長代理となったあたりからA90の開発に影がさすようになった。A90のテストも峠を越し、社内業務の増加を避けるためイタリアに発注していた大物プレス型の大半が完成し、日本向けに発送されようという矢先の四十四年三月、突然開発にストップがかかった。スタイルが日本の国内向けとしては不適である、というのがその理由だった。A90の開発中止で、開発費や型製作費がすべて無駄になったのはもちろんだが、このためにあとの大衆車クラスの開発がもたつき、四十一年のサニー、カローラ発売を契機に急速にふくらみつつあった大衆車市場のカヤの外に三菱ひとり置かれた損失は、はかり知れないものがあった。
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